雑記帳

2011.10.19 Wednesday

覚書

 

納まりを練りに練り、あるいは悪戦苦闘してできたものでも、

見る人にそれを意識させてはいけない。

ごく自然に見えなければならない。

それを意識させたら見る人は肩がこってしまう。

納まりが良いとか悪いとか、良く言われることだが、

これは詳細図の段階でどこまで考えたかによることは

もちろんのこと、さらに言うなら、現寸図を描くか描かないか、

つまり具体的に考えたかどうかで、非常に差のつくところである

現寸図を描くということは、図面の上で実際の仕事をすること、

工事をすることなのだ。材料を矧がなければならないとすれば、

どこで矧ぐか、矧いだところはどうするか、

つき付けに目地を入れるか、釘はどこから打つか、

吸付桟にするのか、桜ボールトにするか等々。

 

自然な感じに、という表現に至るのがじつは一番難しい。

デザインに無理があると、自然という感じにはいかなくなるものだ。

大きな全体としてのデザインのねらいが良くても、

それを完全なものにするためには、

細部がどんな姿・形をとるのか、彫琢に彫琢を重ねることが必要で、

感性の働かせどころである。

全体の構想が細部において生き、完成される。

デザインの質は、だから、細部で決まるといってもよいくらいなのだ。

 

ディテールについては蓄積が必要なんだ、

思想論、方法論も重要だけれども地味なディテールに集約されてくる

技術の蓄積がないと200分の1だとすごくいいのに、

近くによって見るとなあーんだということになる。

 

 


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